対話プロジェクトの呼びかけ人をつとめて 泉川友樹

対話プロジェクトの呼びかけ人をつとめて

沖縄対話プロジェクト呼びかけ人
(沖縄大学地域研究所特別研究員)
泉川友樹

「対話プロジェクト」は正式名を「『台湾有事』を起こさせない・沖縄対話プロジェクト」という。目的はその名の通り「台湾有事」なるものを起こさせないことであり、私は呼びかけ人を最初から最後までつとめたのだが、当の私は「対話プロジェクト」が終了した今も「台湾有事とは何か」「台湾有事はなぜ起こるといわれているのか」を完全には理解できていないし、安倍晋三元首相のいった「台湾有事は日本有事である」というロジックに至っては現在でも理解不能である。私と同じような状況の人もいるかもしれない。しかし、それは「対話プロジェクト」の失敗を意味するものではないと考える。
私の故郷である沖縄、特に宮古島、石垣島、与那国島に中国をにらんだ軍備強化が進み、東京では中国の国土を攻撃できる能力を持てるようにするための政策転換が行われたことは呼びかけ人を引き受けた当初から知っていた。「台湾有事は日本有事」のロジックに合わせて整備が進んでいるようだが、日中両国の間には「日中共同声明」「日中平和友好条約」等があり、二国間の関係において平和的に問題を解決することが謳われているだけでなく、武力の使用や武力による威嚇が禁じられている。最もデリケートな尖閣諸島を巡る問題ですら、双方は警察力での対応に留めて軍事力を使用しておらず、外交による話し合いが続けられている。これが実態だ。台湾を巡る取り扱いについても、1972年の日中共同声明において「台湾は中華人民共和国の不可分の領土の一部であることを中華人民共和国が重ねて表明し、日本は中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重する」としており、その文言の形成過程における外交記録を見ても日本が台湾を中国の一部だと認めているのは疑いの余地がない。これらのことから考えれば「台湾有事は日本有事」というロジックは成り立つ余地がない。私が「理解不能」とする所以である。
理解不能なロジックを用いて、理解不能な軍備強化が進み、故郷の沖縄が戦場になる危険性が高まるという理解不能なことが起きている。私が呼びかけ人になったのは、私自身が「台湾有事とは何か」「台湾有事がなぜ日本有事になるのか」を少しでも理解したいということからでもあった。その「対話プロジェクト」で台湾や中国の有識者、沖縄の研究者・元政治家、本土の元外交官の方々の話をうかがったり、会場の反応を見たりして私が感じたことをいくつか記しておきたい。
1つ目は対話の土台となる基本的事実を踏まえることの重要性だ。「台湾出兵」「日清戦争」「下関条約」「カイロ宣言」「ポツダム宣言」「サンフランシスコ条約」「日中共同声明」「日中平和友好条約」「92コンセンサス」等を知らずして現在の両岸関係やこの問題における日本政府、日本の人々がとるべき立ち位置を議論するのはやはり無理がある。呼びかけ人の一人として、自分たちがいま置かれている状況を理解するためにも、中国大陸や台湾と付き合いがない人たちにも今日につながる近現代史を学び続けることを呼びかけたい。
2つ目は上記の基本的事実を共通の土台にしてもなお、自分と相手方とは認識や解釈に相違があると知ることの大切さだ。その認識や解釈の溝を埋めるのか、あるいは埋めないまま残すことでより高次の共通目標に向かうのか。これらの判断を可能にするのが「外交」であり「対話」なのだと思う。その点でいえば「台湾有事が起こる可能性は高い」と発言した台湾の有識者のお話は私の考えとは大きく異なるものであったが、その見解の相違を認識できたことは個人的に大きな収穫であった。
3つ目は上記2つを可能にするためには「信頼関係の構築」が不可欠ということだ。「あなたのいっていることは信用できない」「あなたは私を欺こうとしている」となってはどのような議論も成立しない。その意味で、今回のプロジェクトで顔を合わせて率直に語り合ったことや、沖縄戦の戦跡を中国大陸や台湾の有識者に見てもらったり、懇親会で親睦を深めたりしたことは大きな意義があったと思う。
個人的には、このプロジェクトを通じ「台湾有事」なるもののアクターは日本、中国大陸、台湾だけではなく、どうやらアメリカが相当大きな役割を演じていることがぼんやりとだが見えてきた。それゆえに、今回の一連のイベントでアメリカ側の当事者の見解を聞く場がなかったのは残念だったといわざるを得ない。今後、同様のプロジェクトが行われるならばぜひ実現してほしい。
いずれにせよ「対話プロジェクト」は終了しても「台湾有事を起こさせない」取り組みは今後も続いていくであろう。その長い道のりで今回の「対話プロジェクト」が今後の展開の基礎となることを呼びかけ人の一人として願う。
以上